一万ヒット記念「伝説の樹の伝説」

「仮初めのエンディング……終わりを控え」

 空を仰ぎ見た。柔らかな日差しの中、極楽鳥が優雅に空を舞っていた。
 縁起が良い。今日の、この後の事を考えるとこれは気分を楽にしてくれる。
 待ち人たる彼女は来るだろうか。
 真上を見上げる。告白すれば、想いが打ち消される事の無いと言われる伝説の樹――母聖樹は悠然とそこに立っていた。
 この伝説はここらに住む者なら誰でも知っている。だから、正確を期するならば、ここに来るか来ないかで相手が受け入れるかどうか解かる。けれど、あくまで伝説は伝説。あえて、直接断る為にここに来る者もいる。ここに来てくれただけでは、第一段階をクリアーしただけにしかすぎない。
 彼女は果たして来るだろうか。
 待ち合わせの時刻まで、およそ半刻。
 その間、彼女と出会った頃からの記憶でも思い出しておこう。
 まだ、幸せなうちに。
 痛ましい記憶にならぬうちに。
 回顧に浸る為に、ゆっくり目蓋を閉じた。

「出会い」

 墨目に出会ったのはもうかれこれ十数年前で、今でも鮮明にその光景を思い出せる。
 隣の空き地に家が建ち、一ヶ月ほど経ったある日に墨目はやってきた。二階の窓から、引越しの風景を眺めていた私は、その中にいる墨目の姿に心奪われた。
 赤墨を溶かしたような瞳に、銀雪さながらの白く長い髪。風花が舞う真昼、その姿は額縁に飾られる一枚絵のように存在していて美しかった。
 酷く興味をそそられ、すぐさまに自分の部屋から飛び出し、荷物を運び込む墨目に私は声を掛けた。そして、きょとんとする墨目に自分の名前を告げた。それにより、こちらの意図を理解した墨目は微笑みながら、私の名前を繰り返した。そうして墨目も自らの名前を告げたのだった。
 それが、縁の始まり。

「日常」

 隣という事もあって、墨目と私は家族ぐるみの付き合いとなった。朝、学校である水面院少等部にも一緒に行くのが日常だった。
 そこで学んだ学業関係に、ひとつ記憶がある。
 墨目は身体能力が高く、スポーツに関しては優秀だったが、いまいち数字に弱かった。よく、試験が近づく度に私の家にやってきては教えてくれとせがまれた。
「だから、トレイリアのアカデミーがあるだろ。そして、アーティファクトは二十二個。手札は六枚。で、精神力が場に出ている。ここから導き出される最大マナ数は……ほら、単純な掛け算なんだよ。解かった?」
「あ、う、えーと……ごめんなさい、三割ぐらいしか解からなかった」
「そうか、それじゃもう一度最初から教えなおそう。ほら、ちゃんと聞いてくれな」
「うん。ちゃんと聞くよ」
 こういうやりとりを何度か繰り返し、満足いく答えになると次に進む。教えている間、私は勉強が出来なかったが、墨目に頼られるのは嬉しかったので気にしなかった。
 最も、高等部に入る頃には私が墨目に教わる側になっていた。
 何かコツを掴んだらしい墨目が成績を上げ、私は逆に勉強に意欲が沸かなくなり常に落第ぎりぎり。そんな私を見かねてか、試験が近づくと墨目はひょっこり私の家に現れるようになったのだ。
 思えば、水面院を卒業できるのも墨目のお陰だ。情けない話だが、そう心から想う。

「夏祭」

 毎年、夏休みの中盤に近所の翁神社で祭がある。普段、私は男友達と共に行き、墨目は女友達と行く。しかし、偶然が重なり、一度だけ一緒に行く機会があった。
 家から二人で道を歩き、長い石段をゆるりと登れば喧騒に彩られた会場が見えた。夜店の屋台に向かって、石畳を歩きながら私達は他愛もないお喋りに興じた。
 途中、灯篭の光に染め上げられた浴衣姿の墨目に、鼓動が早くなるのを感じながらも、私は平静を保とうと努力した。
 その年の夜店の屋台は風変わりな物ばかりを置いてあった。
 墨目が挑戦したポーラクラーケン掬いやダンダーン掬いなどは理解を超えていた。幼生だからサイズが小さいとはいえ、明らかに掬える大きさではなかったのだ。
 私にはさすがにそこまでの勇気が無く、まともな部類に入る半弓を使った射的に手を出した。さてどれを落とそうかと考えていると、横から墨目が「あれを落として」と声を掛けてきた。
 見れば、台座に載った指輪があった。やや、狙いにくいが不可能ではない。
 細心の注意を払い、狙いを定め三度半弓の弦を引いた。
 結果として、私はアラジンの指輪という商品を手に入れ、これを墨目にあげた。
 墨目は「ありがとう」と言って……はてどうしたか。
 記憶が定かならば、指輪を渡した直後に花火が鳴ったはずだ。
 それによって、私と墨目は、その他大勢と同じように暗闇に咲く花火に目を移した。
 そして、最後の一輪が散ると共に二人して来た道をゆっくり帰った。
 強く印象に残っている。

「エンディング……あるいは次へと至るプロローグ」

 本当に、本当に、思い起こせば、こうも良き記憶にいるものか。
 墨目が来なくともそれで良い。
 良く考えれば、この記憶が痛ましい記憶になどなるはずがないのだ。
 例え、待ち人は来なくとも。待ち人と共有した思い出は確かにあるのだ。
 強く、けれど心地良い風が吹いた。
 再び見上げれば、母聖樹の葉がさらさらと風に揺れている。
 もうそろそろ、約束の時間となる。
 待ち人は未だ――……。
 息を切らせながら、墨目はこちらに駈けて来る。
 やあ全く。そんなに急がずとも良いじゃないか。
 そう思った私の目の前に、墨目が立つ。
「やあ墨目。今日は良い天気だな」
 やれやれ。表面を平静に装うだけで精一杯だ。
「……はは、そうだね。健太郎。今日は本当に良い天気だね」
 それも崩壊寸前か。
 ここからは言葉を紡ぐのも億劫だ。
 ――。

 伝説の樹の下に、少年と少女が涙を流しながら笑っていた。
 少年は少女を抱きしめながら。
 少女は少年を抱きしめながら。

 白の髪に、緋色の瞳をした少女の左手には、いつかみた指輪が光っていた。

 了

 一万ヒット記念「伝説の樹の伝説」

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